1960年~道交法スタート

道交法が整備されたのは1960年のことです。

1960年代の秋葉原

1960年代の秋葉原

この当時から飲酒運転に対しての制限が設けられていましたが、呼気1リットルに含まれるアルコール量が0.25mg以上であれば運転が禁止されていただけであり罰則はありませんでした。

この0.25mgという数値の設定は、当時の実験で心身の機能に影響を及ぼす数値が0.25mgだったことが理由となっています。

酒気帯び運転として現在であれば厳罰に値する罰則が待ち受けていますが、1960年当時は飲酒運転の全面禁止に異議を唱える人がいたことから単に禁止ということにし、行政処分などの罰則は設けないというところからスタートしていきます。

しかしながら、0.25mg以下で済ませればお酒を飲んで運転することはいいのではないかという誤解を与えるには十分だったことや車の台数が急増して交通事故での死亡者は2万人に迫る勢いを見せていました。

そうしたことから道交法の改正が行われ1964年には酒酔い運転に関しては1年以下の懲役に量刑が上がります。

1960年代パトカー

1960年代パトカー

1969年~酒気帯びで一発取り消し

1969年には違反点数制度が導入され、免許の減点や反則金などが科されました。

ちなみに違反点数は酒酔い運転は9点で、0.25mg以上の酒気帯び運転では6点でした。

免許停止になるのは6点というのは今も変わりません。

1970年には免許の減点の点数などが引き上げられましたが、今みたいに1回の違反で免許取り消しの行政処分に問われることはありません。

1970年~酒酔い運転 -12点

1970年代渋谷駅

1970年代渋谷駅

ちなみにこの時の違反点数は酒酔い運転が12点に引き上げられ、0.25mg以上の酒気帯び運転はまだ6点です。

12点ではまだ免許停止の域を出ていません。

免許取り消しまでの厳罰に引き上げられるのは1978年です。

交通事故、特に飲酒運転で命を絶たれた家族が、全国に出てきたことでその声が多数上がるようになってから、厳罰の声が一気に高まりました。

そんなこともあり、2万人に迫るとも言われた死亡者数は1979年(昭和54年)には8500人程度まで半減します。

交通事故件数の推移

交通事故件数の推移(平成25年までのグラフ)

しかし、厳罰になっていくのは酒酔い運転の部分だけで酒気帯び運転の部分は1978年の時点でも据え置きのままでした。

1970年には酒気帯び運転に関しても3カ月以下の懲役もしくは3万円以下の罰金という罰則が設けられ、1987年には5万円以下の罰金に引き上げられましたがあまり抑止力としては今ほど強くない状態でした。

何より0.25mg未満の飲酒運転には何の罰則もなかったため、まだまだ飲酒運転に対しておおらかなことがわかります。

見直しなしの1990年台

そしてここからの10数年は見直しが行われず、21世紀を迎えてしまいます。

強化がなされなかった10数年間ではあまりにも痛ましい事故が続きました。

特に1999年に高速道路で発生した事故は飲酒運転をしていたトラック運転手に一家が乗る乗用車が巻き込まれ、そのうち子供が亡くなってお父さんが全身にヤケドを負う大ケガに見舞われる惨事が発生してしまいます。

1999年11月28日15時30分ごろ、東京都世田谷区の東名高速道路東京IC付近で、箱根からの行楽帰りの千葉市の会社員(以下「夫」表記)の所有する普通乗用車(妻運転、夫と3歳・1歳の2女児の3名が同乗)が首都高速用賀料金所付近上り本線を走行中、料金所通過のため減速していたところ、高知県高知市から高知港→フェリー→大阪南港→阪神高速13号東大阪線→東大阪ジャンクション→近畿自動車道→吹田ジャンクション→名神高速道路→東名高速道路経由で東京に向かっていた飲酒運転の12トントラックに追突された(この時、別のワゴン車1台も事故に巻き込まれ損傷している。このワゴン車の運転手に怪我はなかった)。車は大破炎上。妻は自力で脱出し、夫も救出されたが、同乗していた3歳と1歳の女児2人は焼死。夫も全身の25%を火傷する大火傷を負い、皮膚移植を余儀なくされた。妻は窓から逃げる直前に、夫は助け出される直前に娘2人の最期の声を聞いている。なお事故発生直後、偶然現場を通りかかったテレビ朝日のカメラマンが事故直後の光景を撮影していたほか、現場周辺にいた日刊スポーツのカメラマンが近くのビルの屋上から炎上する車を撮影している。

東名高速飲酒運転

東名高速飲酒運転

トラックの運転手は飲酒運転の常習者で、事故当日も高知から大阪へのフェリー内や東名高速の海老名SAなどで合わせてウイスキー1瓶(750ml入り)とチューハイ一缶を飲んだ。事故当時はひどく酩酊しており、真っすぐ立つことができないほどであった。呼気中のアルコール濃度は1リットルあたり0.63mgだったという。

事故より前、不自然な蛇行運転をする加害車に関する通報が道路公団(現在のNEXCO中日本)に寄せられた。また、東京料金所では運転手が支払いに必要なカードを探すのに時間が掛かったことから、料金所の係員がトラックを路肩に移動させカードを探させた後、運転手を降ろしカードを預かった。その際、料金所の職員は運転手の足元がふらついていることに気づき、「ふらついているので休憩したらどうか」と声を掛けた(飲酒運転とは思わなかったという)。しかし運転手は、「風邪気味だったもので、薬を飲んだから大丈夫」と言い、休憩も取らずに運転を再開した(この時、トラックより後ろを走っていた被害者達の車がトラックを追い越していた)。その後、事故は起きた。

wikipedia 東名高速飲酒運転 より

この時は業務上過失致死傷罪に問われ懲役4年の判決が下されました。

2002年より罰則強化

この量刑があまりにも軽すぎることや飲酒運転の事故がこの後も絶えなかったことで、飲酒運転や危険運転に対する厳罰化の動きが強まり、2002年に罰則が一気に強化されます。

それまで0.25mg以下では罰則がありませんでしたが、0.15mg~0.25mgの場合にも罰則が新設されて、違反点数6点となりました。

それまで違反点数が6点だった0.25mg以上の酒気帯び運転は違反点数13点となり、酒酔い運転は25点と一気に重くなります。

また懲役刑や罰金刑も重くなり、酒酔い運転では3年以下の懲役または50万円以下の罰金で酒気帯び運転は1年以下の懲役または30万円以下の罰金です。

50万円

罰金に関しては上限になることがほとんどであり、飲酒運転をすればかなりの罰金を科されることが当たり前になっています。

その後再び飲酒運転による痛ましい事故が続いたことでさらなる罰則の強化が続きます。

2007年には同乗者も

2007年には懲役刑や罰金刑が強化されただけでなく、飲酒運転をすることを知っていて車両やお酒を提供した人やその同乗者も懲役刑や罰金刑の対象に含まれました。

その重さは飲酒運転を行った本人と同じであり、運転者と同罪であることが法律によって示されました。

飲酒運転罰則

2009年反応が出たら免許停止以上

2009年には酒酔い運転の違反点数が35点で0.25mg以上の酒気帯び運転で25点となり、0.25mg以上の酒気帯び運転でも免許取り消しという処分が科されます。

0.15mg~0.25mg未満でも13点で免許停止になるなどかなり重くなりました。

厳罰化の傾向は21世紀に入ってから一気に強まり、30日間の免停もしくは警察で講習を受ければ1日だけの免停で済んだ時代から一発で免許取り消しとなり数年間は免許を取得できない状況に追い込まれます。

こうしたこともあり、交通事故の死亡者数は3000人台に抑えられましたがこんな状況でもまだ、飲酒運転は皆無になったわけではないこと、この現実で生きている世代には、重く捉えて頂きたいと思っています。

飲酒運転検挙率

飲酒運転検挙率

罰則の強化に対する歴史を、駆け足でご紹介してきましたが、まだまだ、都内近郊での取締強化の粋を出ないという被害者側の声も小さくありません。

集中取り締まりの認識が薄い地方道路では、まだまだ、平然と飲酒運転が見受けられるのではないでしょうか。

撲滅 という理想を掲げ、法の整備と行政、民間の働きかけが、これからの交通社会には無くてはならないことを実感する次第です。